①対話形式で分かりやすくヤクザの世界を知れる
教養としての〇〇というタイトルの新書が、いっとき雨後の筍の如く勃興していた。正直「教養」とつけておけば何となく高尚な感じに収まってしまうが故のタイトル選定かと思っていた。しかし、今回紹介したい1冊である溝口敦・鈴木智彦著『教養としてのヤクザ』は、間違いなく現代を生きるヤクザを知るための教養書となるに違いない。そう言い切れる程面白かった。

この本の面白さは今を生きるヤクザの苦労話やかつての栄華の数々のエピソードだけに留まらない。ヤクザという反社会的な存在の目線を通して見えてくる我々の社会の違和感が浮き彫りになる様がとてつもなく新鮮で面白い。そういう意味では帯文にもある「”反社”会学入門」は、全くもってその通りであると同時に「社会学入門」としても読めてしまう多層性がこの本の魅力である。
普段生きていると中々考えることがない「反社会学」の世界に案内してくれる著者がこの2人、溝口敦氏と鈴木智彦氏だ。(以下敬称略)この2人は言わずと知れた裏社会ジャーナリストであり、特にヤクザ方面に滅法強い。2人ともヤクザを取材して早数10年というベテラン。ヤクザをどこまでも知る2人の対話は簡潔明瞭で分かりやすく、各章のテーマの幅も広いので読者が興味が持った分野から読んでも全く問題ない作りになっていてありがたい。鈴木の主な著者に『サカナとヤクザ』、溝口に『喰うか喰われるか 私の山口組体験』等がある。

②ヤクザはあなたのすぐ隣にいたかもしれない
この本は全9章立てで、各々の章の頭に「ヤクザ」がつく。ヤクザと〇〇といった感じだ。その内容の幅は多岐に渡り、食から政治まで様々である。どの章から読んでも全く問題ないのに加えて、過去の大きな事件・事故のニュースの裏にはガッツリとヤクザが関係していたことがよく分かる作りになっている。ヤクザと聞くと覚醒剤の密売や血生臭いの抗争のイメージといったように、我々の日常とは隔絶されていると思われがちだが、我々のような一般人の生活空間にも深く入り込んでいることを実感させられた。
例えば第1章<ヤクザと食品>では、ヤクザが経営しているタピオカ屋の話が出る。今はブームの熱が冷めた感があるタピオカであるが、この本の出版時の2019年はタピオカはまだまだ流行っていた。そんな中ヤクザの新たなシノギ(資金源獲得の手段)として行われていたのがタピオカドリンク屋の経営というのだ。
鈴木 「私が知っている暴力団経営のタピオカドリンク屋は、JR山手線某駅に近い繁華街にあるんですけど、立地も店構えも店員も、まったく暴力団経営には見えないから、客も知らずにタピオカドリンクを買っている。たぶん、働いている店員も、自分が暴力団のフロント企業でアルバイトをしているとは思っていないでしょう。」
客の方もまさかヤクザがタピオカ屋を経営しているとは思わないので、普通に買いに行くのだろう。ヤクザとタピオカというシュールな組み合わせに思わず口角が少し上がった。そもそも何故ヤクザが流行りのタピオカドリンクの販売に手を出したのかというと、シンプルに儲かるかららしい。この本を読んでヤクザはお金になるのならとにかく何にでも手を出すということがよく分かった。
結局ヤクザと言えどこのご時世(というかどうやら昔から)拳一本だけで成り上がり食っていけるというわけではないらしい。確かに世間に畏怖される暴力イメージもヤクザにとっては大事だが、それと同時に商才や自らを守るための知識が必要のようだ。次章はヤクザがシノギや自衛のために法律を駆使している様を紹介する。
③ヤクザの武器は法律⁈
第6章の<ヤクザと法律>は特に興味深い内容だった。憲法や法律のことを熟知したヤクザ(特に組長)は多いと2人は言う。その理由としてはヤクザの仕事の大部分は法に触れるため、どこからどこまでが法的にアウトでそうでないかを知っておかなければ、イタズラに捕まるリスクを高めてしまうからだのこと。過去の名のある組長の中には裁判中に法律の知識を駆使して自ら無罪を勝ち取った例もあるらしい。日本の刑事裁判における有罪率は99.9%であることを鑑みると、驚異の事例である。
一昔前までヤクザと聞くと法に囚われないならず者というイメージがあったと思われるが、めったやたらに法律を破っているわけではなく、いざという時に意図的に破るわけで、そういう意味では一般人と法に対する感覚はそう変わらないのかもしれないと思うと、不思議ではあると同時に恐ろしさが込み上げてくる。一般人は法律は基本的に守るものでしかないが、犯罪を生業としているヤクザにとっては時に武器にもなるし自分を守る盾にもなりうるのが法なのである。鈴木はヤクザと法の関係についてこう述べている。
「だから、法律とか人権とかそんな高尚な話ではなくて、ヤクザからしたら、「武器としての人権」であり、「武器として法律」なんですよね。自分たちの都合の良い人生をおくるための武器で、時と場合によっては法律を破っても捕まらないようにするための武器にして使う。」
しかし考えてみれば一般人でも法律を武器にして戦わなければいけないケースがないとも限らない。冤罪を晴らすためや自らの利益を守るために法律を駆使して、(時には弁護士の手を借りながら)戦う必要があるはずだ。ここから分かるのは法律というのはただ守っているだけではいざという時に役には立たず、知ってさらにそれを使える必要があるということだ。そういう面でヤクザが一般人よりも進んでいるのは皮肉なことである。
④ヤクザ入門書としての『教養としてのヤクザ』
この本は自分が興味がある章から読んでいっても、章ごとの連関が感じられる構成になっている。それを下支えしているのは二人のヤクザに対する圧倒的な知識量と経験則があってのことで、さらりと言った冗談さえも切れ味が抜群だ。是非この本をきっかけに二人の著書を読み、ヤクザの世界を覗き見してみて欲しい。
コメント