確かにそこにいた人の人生を追体験できる「ヤンキーと地元」を今読むべき理由

筑摩書房 ヤンキーと地元 打越正行ーヤミ金業者になった沖縄の若者たち より引用

あらすじ

沖縄の暴走族やヤンキーの調査を私が始めたのは二〇〇七年のことだ。

その頃、ゴーパチ(国道五八号線)にいた若者たちは、二〇一七年にはサラ金の 回収業、金融屋の経営、スロットの台打ち、性風俗店の経営、ボーイ、型枠解体業、 鳶、塗装、左官、彫師、バイク屋、キャバクラ嬢、弁当屋、主婦になっていた。……

彼らが就いた仕事も、生活スタイルも実にさまざまだが、その大半が過酷だ。 こうした中で、彼らはどのように沖縄を生き抜いてきたのだろうか。

筑摩書房 ヤンキーと地元 打越正行ーヤミ金業者になった沖縄の若者たち より引用

この本の見どころ

  「ゆいまーる」という沖縄の方言がある。意味は一緒に頑張ろう、ともに協力しようというものだ。私が沖縄に持っていたイメージはこのゆいまーるに集約されていた。のんびりしているが人に優しく、持ちつ持たれつ生活しているというものだ。しかしこの本は、私の今までの沖縄のイメージを完膚なきまでに叩き潰してくれた。これから紹介する本は牧歌的な観光地の沖縄のもう一つの顔ーすなわち沖縄という地が現在も抱えている問題に対して若者の目線から深く迫った本である。

 本書は著書である打越正行が、2007年から約10年間にわたって沖縄の若者と過ごしてきた記録を辿る構成になっている。その環境は様々で、建築現場から風俗経営、はては暴走族と多岐にわたる。そこで出会った若者たちとのインタビューがたっぷりと書かれており、その前後に補足説明が入るという具合である。インタビューは著者と若者との気軽な雑談といった雰囲気が、表面上はまとってはいるものの、スリリングで気が抜けない瞬間が度々訪れる。彼彼女にとっての「普通」や「常識」が、読者の住む世界を根底からゆっくりと確実に揺らしてくる。

 全章を通じて重要なトピックは、彼らが持つ地元のしがらみであろう。具体的にはしーじゃ(先輩)とうっとぅ(後輩)の関係である。上下関係が異常に厳しく、地元で生きていくには先輩・後輩としての立ち回りが全てを決めるといっても過言ではない。立ち回りを間違えれば、後輩は当たり前のように暴力を振るわれるという修羅のような世界が当たり前のように存在している。そんな地元でなんとかなり上がろうと奮闘する若者もいれば、地元を見限り内地に行く若者もいる。そんな若者たちに対して、著者が一切の綺麗事を放棄してひたすらに耳を傾ける姿勢が情景として見えてくる。

 そのような姿勢を持ち続けられたのは、ひとえに著者の打越正行の経歴が関係していると思われる。

 「何度も大学教員の公募に出しては落ち続け、彼はやがて、大学への就職をあきらめることを決めた。沖縄でバーでもやりますわ、と、真顔で言っていた。」

解説 打越正行という希望p350より引用

 本書は著者の首都大学東京での博士論文が元になっている。しかし大学への就職がなかなか決まらず論文を書籍化する上で、時間的にも経済的にも余裕がなかった。そこでなんと論文を本にするまでの間の生活費をまかなうための、クラウドファンディングが行われたのだ。このように本書が誕生する経緯は異色だ。アカデミック街道の周縁に位置する著者が、歴史的に日本の周縁に追いやられた沖縄の若者達と対峙する時、我々読者が驚愕する本書が生まれたのではないだろうか。

異なる他者と交わるということ

参与観察の可能性を広げた「ヤンキーと地元」

 本書の調査手法は参与観察と言われるものだ。社会学者はアンケート等を利用してデータを集める量的調査とインタビュー等を通して行われる質的調査があり、本書は後者に属する。参与観察の定義は本書を読み進める上で非常に重要なので、以下に引用する。 

参与観察は「調査者自身が、調査対象集団の一員として振る舞い、そのなかで生活しながら、比較的長期にわたって、多角的に観察する方法」とある。人類学や社会学で用いられてき調査法のひとつであり、調査対象社会との距離の近さと調査期間の長さがその特徴とされる。

補論 パシリとしての生きざまに学ぶーその後の『ヤンキーと地元』p329より引用

 すなわち調査者自身が対象集団に深く関わることが前提とされている調査法であり、当然、調査者・対象集団が変われば、そこで得られる知見も変わってくるのである。そういった意味でも本書は唯一無二であり、数値化はおろか再現性はかなり低い。だからこそ本書は面白く、「驚愕のエスノグラフィー」と形容されるのである。本書は参与観察の一つのサンプル以上の価値がある。実際に長年著者を支えてきた社会学者の岸政彦は解説でこう語っている。

ある有名な社会学者は、日本語圏のエスノグラフィーに「打越以前」と「打越以後」の区分ができた、とふと漏らした。私も同感だ。

解説 打越正行という希望p352より引用

 他者の生活に外部からはいり、そこで何かを得るということは簡単なことではない。一方的に情報だけを集めようとしてもうまくいかないだろう。なぜならそこには生活の営みがあり、 何より今を生きる人々がいるからだ。つまり異なる他者が交わった時にはじめて調査が立ち上がるのだ。本書を読んでいて興味深い登場人物は多く出てきたが、圧倒的に面白い人間だと感じたのは著者の打越正行自身である。この人だから本書は誕生した。逆に言えばこの人以外ならここまで面白くなっていたかは分からない。

本書における補論の重要性

 本書は補論がとても重要だ。著者の調査に対する姿勢やその後のアフターケア等などが詳細に述べられているからだ。通読してももちろん面白いが、補論を読んでから本編に入ると、著者の人物像が幾重にも展開される面白さを味わえるに違いない。

さいごに

 著者である打越正行は2024年の12月9日に、急性骨髄性白血病のため死去した。もう新たな著作が読めないことは残念としが言いようがない。この本が多くの人に読まれ、沖縄の現状、ひいては出会ったことがない他者への想像力を喚起することがどれほど重要かが届けばいいと思う。

 

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